鳥取信和教会
「キリストのからだ」
エペソ人への手紙1章15~23節

(1)心の目。
 パウロは、ここでイエスさまをキリストと信じる者に与えられている恵みが大いなるものであるかを知ることができるように祈りをささげています。そのためにまず心の目が開かれることを大切であると示しています。私たちは日々の生活の中で主や恵みに心を留めるよりも、目に見えるものに振り回されやすいものです。エペソの人々も町の人からのいわれなき迫害を受けている状況でした(使徒19章等)。その苦難の中で主の恵みが見えなくなっていたのです。私たちもまず聖霊によって目開かれて主を見るものでありたいと願います。

(2)よみがえりの力。
 パウロは、恵みの具体的な表れとして、望み、つぐ神の国の豊かさ、信じる者に与えられる絶大な力を知ることができるように祈っています。
 特に力について強調して述べられています。それはエペソの人々に今の絶望と思える現実の中に主が働いておられることを示すためでした。神さまは、力を働かせて、イエスさまを死からよみがえらせ、絶望を希望に、死をいのちに、さばきを救いに変えてくださったのです。さらに神さまはイエスさまを神さまの右の座につかせ、すべての支配の上におかれたのです。

(3)キリストのからだなる教会。
 「この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない」(23)。
 万物を支配されているキリストが教会のかしらとして導いてくださることが記されています(22)。キリストがからだであるお一人お一人の内に満ちみちていておられるのです。私たちは今も変わらないその恵みによってあるを得ているのです。
 今の現実の中に働いておられるキリストによって力をいただいて一歩ずつ歩むものでありたいと願います。

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