鳥取信和教会
「主イエスのいやし」
ルカによる福音書5章12~26節

 今日の個所で主は重い皮膚病の人、中風の人をいやされました。この当時は罪ある人が重い病気にかかると思われていましたが、イエスさまはそのような人々を神さまが愛し救いに与る者として下さることを示したのです。

(1)重い皮膚病の人。
 イエスさまのもとに重い皮膚病の人が訪ねてきました。当時ユダヤでは重い皮膚病の人は、町の外に住んで自分を「汚れた者、汚れた者」と言い表さなければいけませんでした(レビ記13:45、46)。また、罪の結果、重い皮膚病にかかると考えられていました。重い皮膚病の人はそのような中でイエスさまのもとに行ったのです。「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」とイエスさまに願い出ました。

(2)きよくなれ。
 「イエスは手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、重い皮膚病がただちに去ってしまった」(13)。
 イエスさまは、触るだけで汚れるといわれる中で、きよい者であると示すために手で触れられました。イエスさまは、どのような人々をも神さまのものとして受け入れてくださる方なのです。

(3)彼らの信仰。
 ある人々が中風の人をイエスさまのもとに連れてこようとしていました。けれども人があまりに多く近づけないので、天井に穴をあけてイエスさまの前につり降ろしました。
 「イエスは彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた」(20)。
 イエスさまは彼らの信仰を見られました。これは現代の個人主義に生きる私たちにとって意外に思えることですが、よく私たち自身のことを顧みれば自分の信仰によって私たちも救われているのではないことを覚えさせられます。つまり、旧約のユダヤ人は信仰をもっていましたが神の義を全うすることは出来ませんでした。ただイエス・キリストが神の義を全うされたのです。そのイエス・キリストの信仰が恵みによって私たちに与えられて今生かされているのです。
 またイエスさまは私たちがある人のために信じて委ねるならばそれを聞いてくださる方であることを示しています。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)。
 ここでイエスさまが中風の人を癒されたのではなく、罪のゆるしの宣言をされたことは重要なことです。今までも多くの人を癒されてきたイエスさまにとって中風の人を癒すことは難しいことではありませんでした。「罪のゆるし」が何よりも大切なことだと示されたのです。「罪のゆるし」は、神さまとの関係を回復し、永遠の命に与る者とされたことを意味しています。私たちも「罪のゆるし」に与る者とされていることを日々喜び主につながるものとされたいと願います。

(4)罪をゆるす権威。
 イエスさまを試すために来ていたパリサイ人や律法学者たちが「罪のゆるし」の宣言を聞いてつぶやきました。イエスさまはその人々に対して「罪をゆるす権威」を持っておられると告げました。イエスさまは私たちの罪のために十字架に架かり死んでくださったのです。イエスさまだけが私たちの罪を赦す権威を持っておられます。私たちはイエスさまを主として受け入れ聞き従う者でありたいと願います。
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