「主イエスの変貌」
ルカによる福音書9章28~38節
(1)山での祈り。
イエスさまはいつも祈りをささげられました。この箇所でもペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて山に祈りに行かれました(28)。神の子だから自分の思いが神さまの御心にかなうとは思われずに、絶えず神さまのみ声を求められました。
(2)主イエスの変貌。
そこで神さまは栄光を顕されました。
「祈っておられる間に、み顔の様が変り、み衣がまばゆいほどに白く輝いた」(29)。
これはイエスさまが人となられる前に本来もっておられた栄光の姿でした。そしてモーセとエリヤが現れてイエスさまと語り合いました。イエスさまが栄光の姿に変わられて話し合ったことは「エルサレムで遂げようとする最後のこと」でした。「最後」と訳されている語は「エクソダス」で「出エジプト」を表す語です。イエスさまの悲惨と見える十字架の死が実は人々の罪をあがなう死であることを表しています。
これらのことはキリストとして信じていても十字架と復活のみ言葉を受け入れることのできなかった弟子たちにイエスさまが神の子であることを示すためでした。
(3)ペテロの言葉。
イエスさまが現れたモーセとエリヤと語っているのを見て弟子のペテロは幕屋を三人のために用意しようと申し出ました。ペテロはイエスさまをモーセとエリヤと同列におくという間違いと共に、イエスさまの十字架と復活のみ言葉を理解しようとせず、ただ自分勝手な願いを述べたものでした。そのぺテロの言葉を打ち消すかのように神さまのみ声がありました。
(4)これに聞け。
「すると雲の中から声があった、「これはわたしの子、わたしの選んだ者である。これに聞け」」(35)。
神さまは「わたしの選んだ者」であるとイエスさまを紹介しています。これはイザヤ42章1節から引用したものです。イエスさまが人々を脅かす者ではなく、み声をもって優しく導かれる方であることを表すものです。
私たちは弟子たちのようにイエスさまのみ声の前に静まって(36)御心を行う者とされたいと願います。