「共におられる神」 塚本望師(深谷西島教会)
イザヤ書41章8~16節
(1)神の裁きと約束の希望
預言者イザヤを通して主なる神様は、捕囚期前のイスラエル人たちに対しては、裁きの警告と悔い改めを、捕囚の民であるイスラエル人たちに対しては、慰めと将来への約束の希望を語りかけておられました。
(2)共におられる神
神様は、たとえ神に背き、罪の中にある生活を送っていたとしても、神の選び、神の救いに与っている者を、決して見捨てることなく、共にいて、強くし、助け、その権威によって支えて下さる方(9,10)ですから、何も恐れる必要がありません。
(3)虫にひとしい者
しかし決して忘れてはなりません。私たち人間は神の前では虫にひとしい、弱い、愚かな者です。にも拘らず神様は、その虫にひとしい者を贖い、助け、強くすると約束されました(14)。
(4)イスラエルの聖者
その贖い主は「イスラエルの聖者」(14)であり、この方こそキリストです。この方にあって圧倒的な完全な勝利を得ることが出来るのです。敵対する者は、すべて滅び去ります。それは私たちが戦うのではなく、主ご自身の御力、権威によって主ご自身が戦って下さるからです。
(5)主にある喜び
その勝利は自分たちの力ではなく、主の力によるものですから、誰も誇ることが出来ません。ただ「主によって喜び、イスラエルの聖者によって誇る」(16)ことが出来るのです(Uコリント12:9)。共におられる神に感謝しつつ、共に歩んで参りましょう。