「約束の日」
エレミヤ書33章14~16節
(1)わたしに呼び求めよ。
エルサレムが、バビロンのネブカドネザル王によって攻められている時に、エレミヤはユダの王ゼデキヤによって捕らわれの身となっていました。それはエレミヤが、ゼデキヤ王が勝利することはないと預言していたからです。自分にとって都合の良い言葉しか聞けない人の弱さが表されています。
エレミヤ自身もこの時は主の言葉を受け止めきれずにいました。主はエレミヤに対してアナトテの畑を買うことを導かれました(32章)。けれども、それが今の滅亡と何のかかわりがあるのかわからなかったのです(32:25)。そのエレミヤに主は「わたしにできない事があろうか」(32:26)と語りかけ、さらに「わたしに呼び求めよ」(2)と語りかけられたのです。
(2)破壊と回復の預言。
主は、エレミヤに再びエルサレムの破壊と回復を告げられました。主は「隠されている事」と告げておられますが、前も同じように語られています(30章等)。これはエレミヤが受け止めきれずにいたので改めて示されたのです。
現実は、『それは荒れて、人もおらず獣もいない』(10)かもしれないが、それを越えて回復があることを、エレミヤが信じられるように主は再び語りかけてくださったのです。
(3)約束の日。
「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家に約束したことをなし遂げる日が来る。その日、その時になるならば、わたしはダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう。彼は公平と正義を地に行う」(14,15)。
主はエレミヤに約束を成し遂げる日が来ることを示されました。そしてダビデの末にメシアが来ること(エレミヤ23:5,6)を再び伝えられました。主の約束を信じたエレミヤは立ち直って人々に御言を伝えました。
私たちも主の約束を信じて歩み、主を証しするものでありたいと願います。