「名を変えられたヤコブ」
創世記32章22~32節
(1)ひとりになるヤコブ
ヤコブは叔父ラバンの元を離れ家族とともに父イサクがいるカナンの地に向かいました。しかしヤコブにとって兄エサウと会うことは恐ろしいものでした。それは20年前のことでしたがイサクの祝福を奪い取って兄エサウから命を狙われるようになっていたからです(創27:41)。神様から励まし(1)をいただいても、兄エサウが400人もの人を引き連れてくると聞いてますます震え上がってしまうヤコブでした。
兄エサウとの再会を恐れたヤコブは、贈り物をすることによってなだめようとします。しかしどうしても恐れを取り除けないヤコブはひとり神様に祈りをささげようとヤボクの渡しに残ります。ヤコブはすでに神様からの祝福の言葉をいただいていましたが、騙したエサウと再会するという目の前の現実に恐れを覚えたのです。私たちもみ言葉をいただいても恐れを覚えることがあります。その時に、ヤコブのようにひとり神様と向き合うことが大切なのです。
(2)ひとりの人との組打ち。
神様はヤコブの恐れを知ってひとりの人を遣わされ、ヤコブと組打ちをします。普通だと夜に襲ってくるのだから盗賊のように思われます。けれども、ヤコブは、去ろうとするその人を神様からの使いであると知って祝福を求めました(26)。ヤコブは、神様と向き合う中で物の見方が変えられたのです。ヤコブは夜明けまで組打ちをして祝福を求め続けました。私たちもヤコブのように思いわずらい一切を神様に伝え、神様の導きをいただくことが大切なのです。
(3)名を変えられたヤコブ。
「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」(28)。
その時、押しのける者という名であったヤコブからイスラエルという名に変えられました。ここでは「神と人とに、力を争って勝ったから」と言われていますが、むしろヤコブがももを打たれて敗北したことを勝利したと告げているのです。
ヤコブがももを打たれて自分の力で立てなくなったように、自分の力に頼るのを止めて神様だけに頼るのならば、神様が戦ってくださる(イスラエル)ことを体験できるのです。私たちも自分の力に頼るのではなく、勝利を与えてくださる主に依り頼むものでありたいと願います。