鳥取信和教会
「主を信じる者」
マルコによる福音書9章14~29節

(1)不信仰な時代。
 イエス様が山を下りられた時、大勢の群衆が集まってきました。その中である人が息子のいやしを求めてきました。先に弟子たちにいやしを求めたがいやされなかったと告げました(18)。これは、イエス様が弟子たちに「彼らにけがれた霊を制する権威を与え」(6:7)たにもかかわらず起こった出来事です。
 「ああ、なんという不信仰な時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまで、あなたがたに我慢ができようか。」(19)。
 そこで、イエス様は弟子たちの信仰のなさを言及されました。弟子たちは、病気の深刻さを見ていやされるという信仰を持つことが出来なかったのです。不信仰とは神さまを信じていない人々を指している言葉ではなく神さま、イエスさまを信じている者が信じきれずにいることを意味しているのです。私たちもそのように現実を見て信仰を働かすことの出来ない弱さを持っています。

(2)主を信ずる者。
 男性はイエスさまに頼むときに弟子たちがいやせなかった姿を見て「しかしできますれば、…お助けください」と求めました。これは疑いをもって神さまに求めてしまう私たちの姿です。
 イエスさまは「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」と答えられました。そこで男性は「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」と叫びました。私たちも信じきれずにいるようなものですが、主の言葉によって信じる者とされるのです。
 最後に「このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない」とイエスさまは話されています。日々祈りによって神さまとの交わりをもつことによって信じる者と変えられていくのです。私たちは日々不信仰を悔い改め、主の前に出て祈り御言に導かれて歩むものでありたいと願います。
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