「パン種に警戒せよ」
マルコによる福音書8章14~21節
(1)パン種に警戒せよ。
イエスさまは弟子たちと舟に乗られて出かけられました。
しかしパンを持ってくるのを忘れひとつしかないということが起こりました。そこで「イエスは彼らを戒めて、「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とを、よくよく警戒せよ」」と語られました。弟子たちはパンを忘れてきたことを注意せよと言われたと考えてこのみ言葉の意味を悟ることが出来ませんでした。彼らは給食の奇跡を見ても今の自分たちに関係あることとして受け入れることが出来ていませんでした。
パリサイ人のパン種とは偽善である(ルカ12:1)と言われています。一般的に偽善には何種類かあると言われています。一つにはよいことを行っていないのに行っているように見せかけること、あるいは、人の前でだけよい行いをすること。もう一つは名を売るためによい行いをすること。さらには自己満足のためによい行いをすることなどがあります。
しかしイエス様が気をつけるように教えられている偽善とはそれらとは違ったものです。「パリサイ人」は神様を信じ、他の人々とは違った神様に認められる正しい生き方をしようとしていました。細かい定めを決め、祈りや礼拝、施しを大切にしていました。けれども神様のためにと言いながらその心の奥底で他の人から尊敬されるために行っていると示されたのです。これは、パリサイ人自身はそのように思っていないことでした。しかし知らず知らずのうちに神様の栄誉よりも人の栄誉を求めるようになっていたのです。
またパリサイ人のパン種のもう一つの意味は神さまではなく自分を義としてしまう姿です。パリサイ人はこの前の個所でイエスさまを試みるために問いかけをしています(11)。自分たちを義としてしまって神さまからの教えはなんであるかイエスさまの伝えようとしておられることはなんであるかを聞かずにイエスさまのみ言葉を自分たちの都合のいいように捻じ曲げてしまっています。
パリサイ人たちは最終的にはそのようにイエスさまの言葉をとって偽証をして訴えるのです。私たちも自分を義としていってみ言葉を自分の都合のいいように理解して神さまのみ言葉に従わない姿をもっていないのかが問われています。
ヘロデという人は神さまに仕えることよりもローマに仕えることによって権力を得ることを欲しました。ヘロデのパン種とはそのように自分の身を守るためにこの世に迎合している姿です。私たちもパリサイ人のようにヘロデのように歩んでいないでしょうか。
悟ることが出来なかった弟子たちを見捨てることをせずに共に歩まれたイエスさまがまた私たちとも共におられることを覚えて従うものとされましょう。