「主イエスの伝道」
マルコによる福音書6章1~13節
(1)主イエスの郷里。
イエスさまは郷里のナザレに行かれました。そこで安息日になったので礼拝を守るために会堂に行かれました。イエスさまの言葉を聞いてナザレの人々は感嘆しました。
けれども、「この人は大工ではないか」と大工であるイエスさまにこのようなことが出来るはずがないとの思いを。彼らはイエスさまのことを小さい時から知っていて、イエスさまがどういう方であるかということが知っています(3)。ですから知っているとの思い込みでイエスさまが今語っておられるみ言葉や行いをそのまま受け入れることができなかったのです。私たちはみ言葉を私たちの思いや経験によってはかってしまいやすいものなのです。
(2)弟子を遣わす主イエス。
イエスさまが郷里で拒絶されるという出来事の後に、イエスさまは弟子たちを派遣しています。それはイエスさまご自身がそうであったように拒絶されることがあっても恐れることがないと示すためにあえてそうされたのです。
弟子たちにご自身がもっておられる権威を授け、必要最小限のものだけをもって伝道するようにと語られました(7~9)。これは、イエスさまが弟子たちに困難を与えるために語られたものではありません。私たちはどうしても神様以外の目に見えるものを頼りとする弱さを持っています。弟子たちが、何か他のものを頼りとせず主だけを頼りとするように導くためにされたのです。
イエスさまは人の弱さを知ってくださっています。一人で苦しんでしまわないように二人ずつ遣わされ、杖や履物、そして下着を身に着けることを許してくださっています。
(3)主イエスの伝道。
「そこで、彼らは出て行って、悔改めを宣べ伝え、多くの悪霊を追い出し、大ぜいの病人に油をぬっていやした」(12,13)。
弟子たちはイエスさまのみ言葉に従って伝道しました。イエスさまは福音を受け入れない人々がいた時、「足の裏のちりを払い落しなさい」と語られました(11)。それは、伝道は弟子たちの力ではなく主のご計画によって実を結ぶものであるから、信じる者がいなくても落胆せずに宣べ伝え続けるように勧めているものなのです。私たちも主のみ言葉に信頼して主の証人として用いられたいと願います。