「実を結ぶ者」
ヨハネによる福音書15章1~11節
(1)まことのぶどうの木。
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」(1)。
イエス様はご自身のことを「まことのぶどうの木」と告げられました。これは神様が「ぶどうの木」としてイスラエルの民を選び、人々に実を、祝福を与える役割が与えられていた(エレミヤ2:21等)にもかかわらず、罪を犯したために果たせなかったことを受けて語られたものです。イエス様は、「まことのぶどうの木」としてつながる私たちに恵みを与えて下さるのです。
(2)主につながり続ける。
イエス様は実を結ばない枝をとりのぞき、実を結ぶものを手入れすることを教えられました(2)。私たち自身が取り除かれてしまうのではないかと思ってしまいますが、「あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている」と示されています。弟子たちは、イエス様が捕らわれた時にイエス様から一度は離れ去りましたが、イエス様が与えられたみ言葉によって主につながり続ける者とされました。イエス様は日々私たちにもみ言葉を備えてくださっています。
(3)実を結ぶ者。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」(5)。
イエス様につながり続けるならば、必ず実を結ぶことが約束されています。私たちは、日々イエス様につながって祈りみ言葉に聞き(7)、主の愛、また喜びを証する者とされたいと願います。