「神は愛」
ヨハネの第一の手紙4章13~21節
(1)使徒ヨハネ。
今日のヨハネの第一の手紙とヨハネによる福音書は使徒ヨハネが記したものです。ヨハネが手紙を書いた西暦90〜100年ごろはイエス様が昇天されて60年ぐらい経っており、イエス様の教えや行いを直接には知らない人々が多くなり、異端やいさかいが教会の中にも拡がっていました。そこで信仰者として歩めるように励ましの手紙を書き送ったのです。
ヨハネはイエス様からボアネルゲ(雷の子)と名付けられました(マルコ3:17)。その名の通りサマリヤの人々がイエス様を受けいれなかった時、天から火を呼び求めることを進言するほどに短気でした(ルカ9:51〜55)。またイエス様の名によって悪霊を追い出していた人を仲間でないからという理由で止めさせるような偏狭な価値観を持っていました(ルカ9:49〜50)。またイエス様の右大臣左大臣にしてくださいと頼む様な上昇志向をもった野心家でした(マルコ10:35〜41)。しかしヨハネは愛の人へと変えられたのです。
(2)神は愛。
「わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます」(16)。
ここで教えられている愛とは一般的な愛とは違います。神様から離れている私たちの罪のあがないとして神様のひとり子であるイエス様が十字架で死んでくださったほどの愛です(10)。
ヨハネはイエス様の十字架を体験し(ヨハネ19:26,27)、失望落胆していました。しかし、復活のイエス様は閉じこもっていた弟子たちを愛し、聖霊を注がれました(ヨハネ20:22)。そのことによってヨハネはイエス様がヨハネを愛し罪を負って死んでくださったことを知り、主を大胆に証しするものとされました(使徒行伝3章等)。私たちも主の愛の内を歩み、主を大胆に証しするものとされたいと願います。
(3)兄弟を愛する。
兄弟をも愛すべきである(21)。この教えはイエスさまの教えです。
「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」(ヨハネ15:12)。イエス様は十字架に架かられる前夜に大切な遺言として語られました。
私たちは、自分は神様に愛されているからと肯定しますが、他人もその愛のうちにあるということは忘れやすい自己中心的な側面を持っています。「「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない」(20)と教えられています。
一万タラントの負債を赦されながら、100デナリの借金をしている者を許さないような歩み(マタイ18:21〜35)ではなく、互いに愛し合うものとされましょう。