「父の家にいる」
ルカによる福音書2章41~52節
(1)過越の祭。
イエス様は、12歳になったので両親と共に過越の祭を守るためにエルサレムの神殿にむかいました。
過越の祭はイスラエルの民が奴隷であったエジプトの地から救われたことを記念するものです。この当時、すでにモーセの時代から千年以上たち、国が亡びるような苦難も味わってきましたが、イスラエルの民は神様から与えられた恵みを覚えて祭りを行っていました。
私たちも罪の奴隷から救われていることを覚えいつでも主に感謝するものでありたいと願います。
(2)父の家にいる。
祭りの後、イエス様はエルサレムに残って聖書の教師たちと聖書について語り合っていました。両親は気づかずに帰路についていましたが、途中でイエス様がいないことを知ってエルサレムまで引き返しました。
母マリヤはイエス様に心配したことを告げ、なぜこのようなことをしたか尋ねました(48)。私たちは両親が心配することは普通であり、イエス様が謝るのが当然だと感じます。けれども、「するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」」(49)と答えられました。
イエス様は、私たちの関係の中心に父なる神様がおられ、どんな時でも共にいることの大切さを教えています。私たちもイエス様のように父なる神様を中心として歩む者でありたいと願います。
(3)心に留める。
マリヤは父が神様を指しているということが分からないのでイエス様の言葉を理解できませんでした。けれでも、全ての出来事を心に留めました。分からないことでも神様に委ね心に留めることの大切さを示しています。