「まことの光」
ヨハネによる福音書1章1~14節
(1)初めに言があった。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」(1)。著者ヨハネは、イエス様が「言」としてすべてのものを創造(創世記1:3等)し、光、命を与えられたことを記しました。
この福音書が記された時代は紀元90年ごろでイエス様が活躍された30年ごろからは60年ぐらい経ており、多くの人が直接的にイエス様を知りませんでした。ローマの皇帝ドミティアヌスによってイエス様を信じる人々が迫害され、クリスチャンたちは信仰の危機に陥っていたのです。そこで、ヨハネは、「言」であり「神」であるイエス様が今も生きてみ言葉を実現して下さることを示そうとしたのです。
「言」は原語では「出来事」とも訳せる言葉です。「言」は必ず成るのです。
(2)まことの光。
「すべての人を照すまことの光があって、世にきた」(9)。
著者ヨハネはイエス様のことを「まことの光」として紹介しました。ヨハネは、暗闇の中にいる人々のうちにも、イエス様がみ言葉を通して光として臨んでおられることを示したのです。
(3)めぐみとまこと。
「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」(14)。
イエス様は神であるにもかかわらず人となってくださり、人としての苦しみを味わってくださったのです。さらに私たちを救うために義なる方であったにもかかわらず私たちの罪の身代わりとなって十字架で裁かれてくださったのです。イエス様のそのめぐみとまことによって神の子として生きる道が与えられたのです。
私たちもイエス様のみ言葉を信じ、闇に光を与えられて主の証人として用いられたいと願います。