「マリヤの賛歌」
ルカによる福音書1章39~56節
(1)み言葉を信じる者。
主イエスの母マリヤは御使ガブリエルの御告げを聞いて、妊娠したと知りすぐに親族であるエリサベツのもとにむかいました。そこでエリサベツは聖霊に満たされて預言しました。
「主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」(45)。
マリヤは御使の「神には、なんでもできないことはありません」というみ言葉を聞き、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(38)と応答しました。み言葉を見ないで信じたのです。ここにさいわいがあります。
(2)マリヤの賛歌。
「するとマリヤは言った、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます」(46,47)。
マリヤは神様を賛美しました。そこで「魂、霊」という言葉を用いました。それは神様がうわべでなく心の中を見られる方と知っていたからです。
マリヤはさらに「主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます」(51,52,53)と讃美しました。主は弱い者、貧しい者を顧み、心から信じる者に恵みを備えてくださる方なのです。
(3)主の約束。
マリヤは最後にアブラハムになされた主の約束が成就したと言い表しました(54,55)。またこの賛歌はハンナの賛歌(サムエル記上2章)やイザヤ書(41章等)と類似しています。それは、マリヤが日々み言葉に聞く生活をしていたからです。マリヤは自分に理解できないことでも思い巡らすようにしていました(29、2:19,51)。
私たちもマリヤのようにみ言葉に心を留め信じる者でありたいと願います。