「心を見られる主」
サムエル記上16章1~13節
(1)サウルの廃位。
神様から選ばれて王となったサウルでしたが、王位から退けられました(1)。その理由は神様の御心を2度損なった(13:8〜14、15:9〜31)ためであり、「そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」(15:23)と告げられています。
サウルは神様のみ言葉より、自分の思いや考えを優先してしまったのです。私たちも同じ弱さを持っています。
(2)心を見られる主。
神様はサムエルにエッサイの子たちのうちから王を選んだことを告げられました(1)。サムエルは立派な姿をしているエリアブを見たときに「自分の前にいるこの人こそ、主が油をそそがれる人だ」(6)と思いました。
「しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」」(7)。
私たちは物事の外面を見て判断しやすい者ですが、神様は内面を見て判断しておられるのです。
(3)選ばれたダビデ。
サウルは人からどう見られているかを気にしたり、傲慢になったりして御言に従いませんでした。ダビデも姦淫の罪を隠すために家来であった夫を殺害する罪を犯しました(サムエル記下11章)。サウルもダビデもそれぞれに弱さを持っていました。けれどもダビデは神様に罪を犯したことを言い表しました(サムエル記下12:13)。ダビデは神様の前に「砕けた悔いた心」(詩篇51:17)を持っていたのです。
私たちもダビデのように神様の前に日々砕けた魂をもって歩むものでありたいと願います。