鳥取信和教会
「主の来臨の希望」
イザヤ書51章1~11節

(1)わが民よ、わたしに聞け。
 「わが民よ、わたしに聞け、わが国びとよ、わたしに耳を傾けよ。律法はわたしから出、わが道はもろもろの民の光となる」(4)。
 この当時イスラエルの民は大国であるアッシリヤやバビロニアによって苦しめられてきました。その中で神様を信じ切れずに、み言葉に聞き従うことができませんでした。しかし主はなおもイスラエルの民を愛し、語り続けられたのです。

(2)わが義、わが救い。
 このところで、「わが義」、「わが救」が3回繰り返されて出てきます。「義」という言葉を見ると裁きとつながるように感じます。けれども、ここではむしろ「救」とつながるものとして記されています。これはイエス・キリストを示すものです。イエス様は、神様に死に至るまで従う義なる方であると同時に、私たちを救うために私たちの罪を負って十字架で死んでくださった方なのです。

(3)喜びの帰還。
 「主にあがなわれた者は、歌うたいつつ、シオンに帰ってきて、そのこうべに、とこしえの喜びをいただき、彼らは喜びと楽しみとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る」(11)。
 イザヤは苦難の中で主に信頼し、かつての恵みを覚えて祈りました(9,10)。そこで主は、イザヤに捕われ人たちがシオンに喜んで戻ってくるという幻を示されました。これはイザヤが生きているときには実現しないものでしたが、み言葉を信じて記したのです。
 私たちも、主を信じ、恵みを覚え、与えられたみ言葉をしっかりと握って待ち望むものでありたいと願います。
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