「十字架を負うて従う」
マタイによる福音書16章13~28節
(1)ペテロの信仰告白。
イエス様はピリポ・カイザリヤに行かれた時、弟子たちに「人々は人の子をだれと言っているか」と尋ねられました。弟子たちは「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」という人々の4種類の反応を伝えました。
そしてイエス様は弟子たち自身がどのように受けとめているか尋ねられました。イエス様は弟子たちにピリポ・カイザリヤという異邦の神々が祭られているところで、周りの人々に影響されずに、信仰を言い表すように導かれたのです。
ペテロはその問いかけに対して「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と告白しました。これはペテロが自分自身で考え出したものではありません。イエス様の受洗時のみ言葉(3:17)を通して養われたものです。
(2)イエス様の約束。
イエス様はそこでペテロを祝福し、「あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない」と約束されました。イエス様はこのペテロの信仰告白の上に教会をたて上げることを示し、黄泉の力にも守られることを約束されました。今も同じ主の約束によって教会が建てられているのです。
(3)自分の十字架を負うて従う。
「それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」(24)。
イエス様は弟子たちに、自分を捨て、自分の十字架を負うて従ってくるように教えられました。
ペテロはイエス様の受難を聞いて自分の思いでイエス様の言葉を否定してしまいました。私たちもみ言葉に従うよりも、見える現実に揺り動かされ、自分の考えや思いによって歩んでしまいやすい弱さを持っています。
私たちもイエス様を主として受け入れ、自分の思いや考えで歩むのではなく、み言葉に従い、与えられた使命を果たしていくものでありたいと願います。