「起きよ、光を放て」
イザヤ60章1~7節
(1)起きよ、光を放て。
預言者イザヤは、イスラエルの民に「起きよ、光を放て」と主の言葉を伝えました。それは光(主の栄光、主ご自身)が人々のうちに来られたからであるといわれています。
これはイスラエルの民が順境の時に読まれたものではありません。イスラエルの民は大国のアッシリヤによって苦しめられ、ついにはバビロンによって捕囚の民となってしまいました。しかし、その苦難の中に主が共にいて光となり照らしてくださっていることが示されているのです。
(2)主が朝日のごとく。
「見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる」(2)。
ここで主はイスラエルの民だけではなく、「もろもろの民」に目を留めておられることが示されています。主はすべて人々が罪によって苦しめられている姿を知って、主がまずイスラエルの民に朝日のように臨んでくださったことが記されています。
私たちは今イエス様の十字架の血潮によって罪赦され、光である主と共に歩むものとされているのです。
「もろもろの国は、あなたの光に来、もろもろの王は、のぼるあなたの輝きに来る」(3)。
私たちは日々主の光に照らされて、暗闇の中にいる人々に主を証しするものとされたいと願います。