「仲に立つ者」
イザヤ書59章12~21節
(1)人の罪。
預言者イザヤは、人が救われないのは主のせいではなく人の罪が原因であることを示しました(1)。ここでは罪とは、単に悪しきことを行うということではなく、神様から離れて自分勝手な歩みをしていることであると言及しています。
ここでイザヤは「われわれ」と述べています。私たちは、自分自身は正しいものとして他の人を裁きやすいものです。けれどもイザヤは私自身の問題であることを示したのです。
(2)仲に立つ者。
「主は人のないのを見られ、仲に立つ者のないのをあやしまれた。それゆえ、ご自分のかいなをもって、勝利を得、その義をもって、おのれをささえられた」。
主は人々が自分たちの罪ゆえに苦しんでいるのを見られて、仲に立つ者、とりなす者をさがされましたが、一人もいなかったことと記されています。そこで主ご自身が救いをもたらす者、仲に立つ者となられたのです。主が私たちのために救いの武具を身に着けて罪の束縛から解放してくださったのです。
イエス様は私たちの罪の身代わりとして十字架で裁かれ、贖いを成し遂げてよみがえってくださったのです。
(3)霊と言葉は離れない。
主がただ恵みにより私たちと契約を結んでくださったことが記され、どんな時でも助け主である聖霊が与えられみ言葉によって生きるものとされていることが示されています。
私たちは日々イエス様のとりなしによって主に近づき聖霊を内にいただいてみ言葉に生きるものとされたいと願います。