「イエスによる信仰」
使徒行伝3章11〜26節
(1)イエスの名。
ペテロとヨハネは祈りをささげるために神殿に赴きました。「美しの門」で足のきけない人がいたので「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」といやしました。そのことに驚いた群衆たちに説教をしたのが今日の個所です。
ペテロとヨハネは足の利かない人がいやされたのは「自分の力や信心」ではなく、死んで復活されたイエスの名によることを示しました。まず大切なことは私たちの力や信仰の深さによって御業が行われるのではなく、ただイエス様の名によって恵が与えられていると知ることです。
(2)イエスによる信仰。
「そして、イエスの名が、それを信じる信仰のゆえに、あなたがたのいま見て知っているこの人を、強くしたのであり、イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で、このとおり完全にいやしたのである」(16)。
「名」とはその存在そのものを表すものです。今もイエス様の名が語られるところにイエス様は生きて働いてくださるのです。私たちが祈る時にイエス様の名によって祈るのもそのためです。
(3)悔い改めて立ち返れ。
ペテロとヨハネはイエス様を十字架につけて死なせてしまったのは知らないでしたことであり、み言葉の成就であることを示しました。イエス様は十字架の上で、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(34)と祈られました。今も主は天の右の座について私たちのためにとりなしておられます。
ペテロとヨハネは「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい」と勧めました。私たちも日々主に悔い改めて立ち返って主の再臨される時を待ち望みたいと願います。