「復活の主の顕現」
ルカによる福音書24章33~43節
(1)復活の主の顕現。
復活されたイエス様は、エマオへ向かう二人の弟子に顕れました。そこで二人の弟子はすぐさま弟子たちに告げるためにエルサレムに引き返しました。エルサレムにつくとすでにペテロにイエス様が顕れて下さったことが話されていました。けれども多くの弟子たちはイエス様が復活されたことが信じられませんでした。そのような弟子たちにイエス様は顕れて下さいました。
(2)やすかれ。
イエス様は顕れた時に弟子たちに「やすかれ」と告げられました。弟子たちがユダヤ人の迫害を恐れていることを知っておられたので慰めの言葉をかけられたのです。イエス様は人の弱さを知って慰めて下さる方なのです。
また「やすかれ」は普段のあいさつの言葉でした。イエス様が死なれたので日常を失っていた弟子たちに、今も主のある日々が備えられていることを示されたのです。
(3)まさしくわたしなのだ。
弟子たちは顕れたイエス様を幽霊のように感じて恐れました。
「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」(39)。
そこで信じることが出来ない弟子たちにご自身の体を見るように勧められ、イエス様が体をもって生きておられることを示されました。
私たちも弟子たちのように困難や悩みの中でイエス様を信じられなくなる弱さを持っています。そのような私たちにイエス様は「まさしくわたしなのだ」と語りかけて下さっているのです。イエス様は今も生きておられて私たちの主として導いておられるのです。
私たちも日々語りかけて下さる復活の主の前に出て主の証人として用いられたいと願います。