「復活の主を見る」
ルカによる福音書24章13〜32節
(1)ふたりの弟子。
エルサレムからエマオに向かう二人の弟子の姿が描かれています。彼らはイエス様の十字架の死により失望していました。その中で復活の主イエスが顕れて下さったのです。
けれどもクリオパたちはイエス様を認めることが出来ませんでした。これは救い主であるイエス様のことを理解せず、み言葉を心にとめることが出来なかったからです。
彼らはイエス様のことを預言者だと思い、イスラエルを救う人であると考えていました。彼らにとってイエス様はあくまでもローマの支配から救う人であったのです。そこで女性たちの『イエスは生きておられる』という証を聞いても信じることが出来ませんでした。
私たちも現実が自分の願い通りになっていないことに勝手に失望し、イエス様を見失いやすい者なのです。
(2)主イエスの説き明かし。
そのような二人の弟子たちに対してイエス様は「心のにぶい」と叱責されましたが聖書を開いてご自身のことを説き明かされました。
イエス様はさらに先に進まれようとされましたが二人の弟子は熱心に引き止めました。イエス様の話を聞いて彼らの心が変えられたのです。
そしてイエス様がパンを祝福してさき、わたしておられるうちに彼らの目が開かれてイエス様だとわかりました。それと同時にイエス様が消えていきました。
(3)心燃えて
これは大切なことを教えています。私たちは今復活の主に実際に出会うことはできませんが、み言葉を通してキリストである主を知る時に復活の主を見る者とされるのです。
私たちは日々み言葉によって心燃やされ、聖餐を通して主を体験し、主を証する者とされたいと願います。
「彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」」(32)。