「主イエスの救い」
ルカによる福音書23章39〜56節
(1)犯罪人の救い。
イエス様と共に十字架につけられていた犯罪人の一人が「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」(39)と悪口を言っていました。しかしもう一人の犯罪人が「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」(40,41)。自分たちは悪いことをしたのだから十字架につけられて当然であるがイエス様は何の罪もないとたしなめました(40,41)。
そしてイエス様に「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」(42)と頼みました。これは彼が、イエス様のとりなしの祈り(33)を聞いたので心を変えられたのです。彼はイエス様をキリスト(救い主)と信じ、救われるような者ではないからせめて心にとめてほしいとイエス様に願ったのです。
「イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」」(43)。
イエス様はその心砕かれた犯罪人の願いを聞いて救いを約束されました。何の善行もなしにイエス様を信じるだけで共にいると約束して下さったのです。
(2)救いの成就。
イエス様が十字架の苦難を受けておられる中で聖所の幕が破れました。幕は至聖所と聖所を分けるもので大祭司が犠牲をささげるために年に一度だけ入ることが許されたものでした。この幕が裂けることはイエス様の犠牲の死によってすべての人が神様の前にでることが出来るようになったことを表しています。
「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」(46)。
イエス様は幕が裂けたことによって救いの完成の時が来たのを知ってみ言葉(詩篇31篇5節)を引用されて神様に霊をお委ねになりました。イエス様は私たちを救うために最後まで神様を信じみ言葉に従って死なれたのです。イエス様は今も私たちを招いておられます。
私たちも日々悔い改めてイエス様の前に出て救いにあずかって主を証する者でありたいと願います。