「主につながる」
ヨハネによる福音書15章1〜11節
(1)主はまことのぶどうの木
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」(1)。
イエス様はご自身のことを「まことのぶどうの木」と表されました。これは神様が「ぶどうの木」としてイスラエルの民が選ばれ、人々に実を、祝福を与える役割を与えられていたにもかかわらず、罪を犯したために出来なかったことを受けて語られたものです。イエス様は、「まことのぶどうの木」として私たちに恵みを与えて下さるのです。
(2)主につながり続ける。
イエスさまは実を結ばない枝をとりのぞき、実を結ぶものを手入れすることを示されました(2)。私たちが取り除かれてしまうのではないかと思ってしまいますが、「あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている」と示してくださいました。弟子たちもイエス様のみ言葉を受け止めきれずにイエス様が捕らわれた時にイエス様から一度は離れ去りましたが、イエス様が与えられたみ言葉によって主につながり続ける者と変えられたのです。
(3)主の愛のうちにいる。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」(5)。
イエス様につながって、日々み言葉に聞き、祈るならば(7)、必ず実を結ぶことが約束されています。私たちはいつもイエス様の前に出て新しくされ実を結び、人々に主の愛、喜びを証する者とされたいと願います。