「主のまなざし」
ルカによる福音書22章47〜62節
(1)十二弟子のひとりのユダ。
十二弟子のひとりのユダがイエス様を裏切ってオリブ山で引き渡そうとしました。この福音書は後の時代に記されたものですからユダのことを省いて書くこともできたはずです。けれども、あえて十二弟子のひとりのユダと書くことによって、今日の私たちもイエス様を裏切ってしまう弱さを持っていることを示しているのです。
(2)主のいやし。
イエス様は弟子によって傷つけられたしもべを癒されました。力をもって力に対抗されるのでなく、いやし、救いをもって人々に臨まれたのです。
(3)否むペテロ。
捕らえられたイエス様の後にペテロはついていきました。そこでイエス様と共にいたいという願いからであったと思いますが、女中に「この人もイエスと一緒にいました」と問われた時、「わたしはその人を知らない」と答えてしまいました。
結局イエス様が告げられた通り三度イエス様を否認することになりました。最後には呪うまでして自分の保身のためにうそをつくようになっていたのです(マルコ14:71)。このままではユダのようにイエス様から離れ去っていたかもしれません。
(4)主のまなざし。
「主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏がなく前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した」(61)。
けれどもイエス様はそのペテロを覚えて見られました。イエス様のそのまなざしによってみ言葉(31〜33)を思い出したペテロは悔い改めて立ち返ることが出来たのです(62)。イエス様は苦難の中でイエス様から離れやすい私たちを知って、今も目に留めてくださっているのです。
私たちも主にいつも立ち返ってみ言葉によって歩むものでありたいと願います。