鳥取信和教会
「主と共に生きる」
テサロニケ人への第一の手紙5章1〜11節

(1)主の日。
 パウロは、テサロニケ教会に主の日(主が再臨される日)が、イエス様が言われたように(マタイ24章など)、突然思いがけない時に来ることを記しました。
 これはテサロニケ教会のある人々が終わりの日が来るのが近いならば働く必要もないと言って自分勝手な生活をおくるようになっていたからです。そこでパウロは終わりの日がいつ来るか分からないからいつ来てもいいように目を覚ましていなさいと勧めました。

(2)光の子。
 「しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう」(8)。
 パウロは具体的に「信仰と愛との胸当」、「救いの望みのかぶと」を身につけるように勧めています。いつも主の前に出て信仰を与えられ、イエス様を与えて下さった神様の愛にとどまり、主イエスの十字架の死と復活によって完成している救いの望みを抱くものとされているのです。
 けれども私たちは十二弟子たちがそうであるように(ルカ22:45)、苦難や悲しみの中で霊的に眠ってしまいやすいものです。

(3)主と共に生きる。
 「キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである」。
 イエス様はそのような弱い私たちを知って今も天においてとりなしの祈りをしておられ(ローマ8:34)、主と共に生きる者として導いておられます。
 私たちも主の復活の力をいただいて武具を身につけ兄弟姉妹のためにとりなし祈る者でありたいと願います。
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