「キリストは主」
ルカによる福音書20章41〜47節
(1)ダビデの子。
イエス様は「どうして人々はキリストをダビデの子だと言うのか」と問いかけられました。当時のユダヤ人は、キリスト(救い主)は「ダビデの子」であると言っていました。それは「ダビデの子」であると言うことによってローマの支配から解放してくださるのがキリストであると思っていたからです。
(2)キリストは主。
「このように、ダビデはキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか」(44)。
そこでイエス様は詩篇110篇1節のみ言葉よりダビデがキリストを主と呼んでいるのに、「ダビデの子」と言っているのはなぜなのかと問いかけられたのです。自分の願い通り行ってくれるキリストを求めるのではなく、自分の人生の主としてキリストを迎えるように示したのです。
(3)律法学者に気をつけなさい。
さらにイエス様は律法学者の姿を語ることによって弟子たち(イエス様を信じる者)にイエス様を人生の主として迎えているのか問いかけられました。律法学者は神様に従うことよりも、自分の権威や立場を誇りとし、人々から尊敬を受ける、認められていることに気をかけている、あなたはどうなのかと今私たちに問いかけておられるのです。
私たちはイエス様を主として受け入れ、イエス様のみ言葉に聞き従う者でありたいと願います。