「神のものは神に」
ルカによる福音書20章19〜26節
(1)律法学者や祭司長の謀略。
律法学者や祭司長たちはイエス様が語られたぶどう園のたとえの農夫たちが自分たちのことを指しているのを悟りました。けれども彼らは悔い改めることをせず、自分たちの立場を守るためにイエス様を亡き者にしようとイエス様の言葉じりを捕らえる策略を立てました。
(2)納税の質問。
彼らはイエス様に従う者のふりをし(20)、最初に褒め言葉をもってあいまいな答えを許さないようにして(21)、カエザル(ローマ皇帝)に税金を納めるのが正しことかどうか質問しました。もしイエス様がカエザルに税金を納めてはよくないと答えると反逆者としてローマ当局者に訴え、もしイエス様がカエザルに税金を納めるのが良いと答えるとローマの支配に苦しんでいた民衆の支持を失うというものでした。
(3)神のものは神に。
イエス様は彼らの悪だくみを知ってデナリ銀貨の肖像について尋ねました。彼らは「カイザルのです」と答えました。
「するとイエスは彼らに言われた、「それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」」(25)。
イエス様は、銀貨に肖像が記されていることはカエザルのものだということなのだからカエザルに返すべきだと教えられました。これは単に税金を納めることを教えているのではなく、神様の許しのもとにカエザルも支配者として建てられているということを示しているものなのです。
また、イエス様は、彼らが神様の御心を聞くふりをして、自分たちの都合の良いようにしようとしていたことを問われました。
私たちも自分の祈っている通りに物事が進まない時に不平や不満を持つならば彼らと同じことをしているのです。
私たちはイエス様のように「みこころのままに」と祈る者でありたいと願います。