「持ち運び、救う神」
イザヤ書46章1〜13節
(1)救うことが出来ない神々。
イザヤは、バビロンで捕囚のユダヤの民にバビロンの神々は救うことが出来ない神であることを示しました。今はバビロンの神々の像をユダヤの民が運んでいるが、ペルシャ帝国のクロス王によって戦利品として獣によって運ばれていくようになると預言しました。
(2)持ち運び、救う神。
「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う」(4)。
それに対して真の神である主はユダヤの民を生まれる前から持ち運び、救い出して下さる方であることを記しています。
この当時、捕らわれの身となっていたのでユダヤ人は神様のことを信じ切れなくなっていたのです。しかし、神様はその民を愛し、救われるところまで持ち運んで下さると約束されています。
(3)成し遂げてくださる神。
神様は御旨を成し遂げて下さる方であることが記されています(10)。神様は私たちに苦しい道を歩ませることがありますが、それは私たちに災いを与えるためでなく、祝福を与えるために備えられた道なのです(エレミヤ29:10〜14)。
私たちは御声をかけて下さる神様をどんな時でも信じ祈るものでありたいと願います。