鳥取信和教会
「盲人のいやし」
ルカによる福音書18章31〜43節

(1)主イエスの受難の預言と弟子の不理解。
 イエス様は三度目の受難、死、復活の預言をされました(31〜33)。これは旧約聖書(イザヤ書53章、詩篇16,22篇等)に基づいたものでした。けれども弟子たちは何一つ分かりませんでした。イエス様が語っている言葉自体は分かったと思いますが、イエス様をローマの支配から解放して下さるキリストと信じていたので受け入れることが出来なかったのです。イエス様が罪人を救うために来られた(5:32)ことを既に話されていましたが、聞いてなかったのです。
 私たちも同じような弱さを持っています。イエス様を信じていても現実を見て自分の願っているとおりでないとすぐに失望落胆してしまうのです。

(2)あなたの信仰があなたを救った。
 エリコにつながる道にいた盲人がイエス様のことを聞いてイエス様に憐れみを求めました。周りにいた群衆はそれを止めさせようとしましたが、さらに求め続けました。そしてイエス様の「わたしに何をしてほしいのか」と問いかけに対して、「主よ、見えるようになることです」と答えました。
 「そこでイエスは言われた、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」」(42)。
 目の見えない人の信仰は見えるようになる前からのものです。けれどもその信仰があなたを救ったと告げておられます。これは目が見えるという奇跡ではなくイエス様を信じる信仰が与えられたことが救いであることを教えているものです。

(3)見えるようになれ。
 そしてこの出来事が先の弟子たちの不理解のあとに記されているのは、イエス様をはっきりと見えていない者でも盲人のように求め続けるなら、イエス様が応えて下さりはっきり見えるようになる(救われる)ことを伝えているのです。
 私たちも弟子たちのように弱い者ですが、いつもイエス様の前に出て祈り求め続けるものでありたいと願います。
Copyright©Tottori Shinwa church,all rights reserved.