鳥取信和教会
「神が喜ばれる祈り」
ルカによる福音書18章1〜14節

(1)失望せずに祈る。
 イエス様は人々に失望せずに祈り続けるようにたとえを用いて話されました。不義の裁判官はやもめの訴えを聞かないでいましたが、何度も来るので訴えを聞いて裁判をしたという話です。神様は不義な裁判官ではなく、むしろ私たちを愛しわたしたちの幸せを願っておられるので祈りをすみやかに聞いて下さると示しておられます(7)。
 けれども私たちは現実が祈っているようにならないとすぐに神様を疑ってしまいやすいものです。そこでイエス様はただ単に繰り返し祈るのではなく、信仰を持って祈り続けるように注意されています(8)。

(2)パリサイ人の祈り。
 イエス様はさらに祈るときに気をつけることを、たとえを用いて話されました。あるパリサイ人は自分がいかに素晴らしい人物かを神様に訴え取税人を見下した祈りをしました。
 パリサイ人は貧しい人に施しをし、公正な裁きをする人であり、よき家庭人であり、律法を熱心に守る人物であったので人々から尊敬を受けていました。けれども彼は神様から義(正しい)とされることはありませんでした。それは、パリサイ人が自分は神様の前に立つ価値がある一角の人物であり、神様が祈りを聞いてくださるのは当然だと思い上がっていたからです。

(3)取税人の祈り。
 「ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と」(13)。
 取税人は神様の前に何もない罪人であることを認めへりくだってただ赦しを求めて祈りました。そこで神様は取税人を義とされました。
 私たちも何の功しも無い者であることを覚えてへりくだって「みこころのままに」と委ねて祈る者でありたいと願います。
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