鳥取信和教会
「種一粒の信仰」
ルカによる福音書17章1〜10節

(1)罪のゆるし。
 イエス様は弟子たちに信仰生活の中で罪の誘惑が来ることを示され、兄弟を神様から離れさせることをしないように注意されました。これは実は難しいことです。自分では神様から赦されたことをしているつもりでも他の人から見ればつまずきになるようなことがあります(参考第1コリント8章)。そこで自分で注意するように語られたのです(3)。
 そして、7度罪を犯し7度悔い改めたら兄弟の罪を赦すように勧められました。イエス様の十字架による神様からの赦しがここに示されているのです。神様は度々神様からそれてしまう私たちを何度でも赦し迎えて下さるお方なのです。私たちも神様の赦しに生きる者でありたいと願います。

(2)からし種一粒の信仰。
「そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう」(6)。
 使徒たちは兄弟を七度赦すような信仰ではないことを知って「わたしたちの信仰を増してください」と願いました。この言葉の裏には、弟子たちは自分たちが信仰を持っていると思っていたことがあります。そこでイエス様は、信仰を増すのではなく、からし種のようなちっぽけな信仰であっても持っていれば必ずその通りになることを示されたのです。疑っていても悩んでしまっても神様の前に出て行って委ねていくならば神様は御業を行って下さるのです。

(3)ふつつかな僕。
 イエス様はさらに「ふつつかな僕」のたとえ話をされました。これは弟子たちが信仰を持っている、ひいてはその信仰に対する報酬があると思っていたからです。けれどもイエス様は、功績に対する報酬ではなく恵みとしてすべて神様が備えられたものであることを示され、へりくだるように語られました(10)。
 ともすれば神様から離れてしまう弱い私たちをただ恵によって神様が赦しておられることを覚えて、いつもへりくだって神様の前に出るものでありたいと願います。
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