「放蕩息子の帰郷」
ルカによる福音書15章11〜24節
(1)放蕩息子のたとえ。
今日のたとえ話には人の罪の姿、神様の愛の姿が描かれています。
弟は父を離れて好き放題なことをしたくて財産を分けてくれるよう申し出ました(12)。そして放蕩三昧のあげく身を持ち崩してユダヤ人には汚れた動物である豚を飼い、さらには飢餓のためその豚の餌を食べたいと思うほどになっていました。 これは私たちの姿を表しています。私たちは神様から離れて自分勝手な生き方をしています。そして自由に生きているつもりで罪の奴隷となっているのです。
(2)本心に立ちかえる。
その中で弟は「本心に立ちかえって」、父のところへ戻ることにしました。
それは父から離れた罪を心から悔いたもの(18,19)でしたが、半分は食事のためでした(17)。
(3)父なる神の愛
「そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した」(20)。
そのような弟でしたが、いつも探していた父は喜んで迎えました。そして弟が悔い改めを言い終わらないうちに奴隷ではなく子として迎え入れ祝宴を挙げました。 神様は弱い私たちを高価で尊い存在として愛して下さっているのです。私たちも日々悔い改めて主を見て歩むものでありたいと願います。