「主の弟子」
ルカによる福音書14章25〜35節
(1)主の弟子となる条件
「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」(26)。
イエス様はイエス様に従う弟子となるための条件を示されました。ここで「捨てて」と言われていますが、関係を絶つという意味ではありません。例えば弟子のペテロも舟や家族を置いてイエス様に従っていきました(マタイ4:18〜20)が、後で舟を異動するために用いたり(マタイ8:23)、家族のもとを訪れたりしたこと(マタイ8:14,15)が記されています。
これは家庭や生活の中心にイエス様を置くようにと教えておられるのです。イエス様を中心にして歩むとき幸いを備えてくださるのです(マタイ6:33)。
(2)十字架を負う。
「自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない」(27)。
イエス様はさらに自分の十字架を負うように教えられました。私たちは、十字架を負って、苦しみの中でも、日々罪の赦しに与り、使命をおこなう者とされたいと願います。
(3)地の塩。
イエス様はたとえを通してイエス様について行くことは人生をかけるに値する素晴らしいものであることを示され、すべてを委ねるように招いておられます(28〜33)。
私たちはイエス様を人生の主としてお迎えして、効き目のある地の塩として用いられたいと願います。