「自分を高くする者」
ルカによる福音書14章1〜11節
(1)パリサイ人との食事。
安息日にパリサイ派のかしらがイエス様を招待して食事会を開きました。神様の愛と兄弟としての親愛を表す食事会であったのですが、パリサイ人には別の目的がありました。
イエス様に敬意を表すためではなく、イエス様を訴える口実を見つけるためにイエス様を招いたのです。
(2)水腫の人のいやし。
そこで普通では門税払いにするはずの水腫を患っている人がイエス様の目の前にいたのです。イエス様は人々の思いを知って「安息日に人をいやすのは、正しいことかどうか」(3)と問いかけました。
彼らは安息日に人をいやすことは罪であると思っていましたが、イエス様を試すために、あえてイエス様の問いかけに答えませんでした(4)。
けれどもイエス様は神様の愛を表し水腫を患っている人をいやされました。そして、たとえを話されて、安息日に神様の愛されている人をいやすことは神様の御心にかなうことを示されました。そこでパリサイ人は口答えすることが出来ませんでした。
(3)自分を高くする者。
「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(11)。
イエス様は人々に婚宴で上座に座るというたとえを用いて人々に高ぶっていないか問いかけられました。今日の私たちにも同じ問いかけをしておられます。
イエス様を信じて心に迎えているはずの、私たちが祈っていることが自分の思い通りになっていないからといって、イエス様につぶやいてしまうのなら高ぶっているのです。
イエス様のようにへりくだって「しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」(22:42)と祈るものでありたいと願います。