「主のとりなし」
ルカによる福音書13章1〜9節
(1)災難に遭った人々。
今日の箇所にはピラトによって殺されたガリラヤ人とシロアムの塔の崩壊に巻き込まれて亡くなった人々のことが記されています。
この当時の人々は、彼らが災害に遭ったのは、彼らの罪深さによると考えていたようです(2,4)。けれどもイエス様は「そうではない」と答えられました。これは大切なことを教えています。私たちは罪のせいで悪いことに遭うのではないのです。そこにも神様のご計画が隠されているのです。
(2)悔い改めの勧め。
そして、イエス様は人々に悔い改めるように勧められました(3,5)。イエス様は他の人を裁くのではなく、まず自分自身を省みるように教えられたのです。私たちの内には自己中心の思いがあります。それを問われているのです。
(3)主のとりなし。
イエス様はいちじくの木のたとえ話をされました。主人が実を結ばないいちじくの木をきるように園丁に命じています。
「すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから』(8)。
これはイエス様の姿を現しています。神様は義なる方ですから私たちの罪を見過ごすことが出来ません。けれどもイエス様が私たちのために十字架で死んでとりなして下さったのです。
イエス様の血潮によって罪赦されていることを感謝し、神様の前にいつも出てイエス様のように他の人のためにとりなす者とされたいと願います。