「非常な喜び」
マタイによる福音書2章1〜12節
(1)博士たち。
イエス様が誕生された後、星に導かれて博士たちがエルサレムに訪ねてきました。博士たちは、バビロンの捕囚の民の子孫から救い主のことを聞いた人々であったのだろうと思います。そこで、自分たちの救い主として拝みに来たのです。けれどもどこかで星が見えなくなったようです。
(2)導きを求めて。
星が見えなくなった博士たちは、神様の導きを求めるために王宮に赴きました。神殿には異邦人である博士たちはあるところまでしか入ることが出来なかったので、聖書の専門家である祭司や律法学者がいる王宮を訪ねたのです。
祭司や律法学者は正確に聖書(ミカ5:2)を引用してベツレヘムに救い主が生まれることを伝えました。けれどもヘロデ王や祭司、律法学者たちは救い主の誕生を喜ばすに、むしろ殺害しようとしました(16)。ヘロデ王たちは御言に従うのではなく、御言を利用したり自分の意思や立場を優先したのです。
(3)星に導かれて。
「彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた」(9,10)。
博士たちは御言によって教えられベツレヘムに向かう中でもう一度星に出会いました。そこで救い主がおられるということを知って「非常な喜び」を感じました。これが信仰の姿です。イエス様に実際に出会う前に、イエス様が共におられることを知って喜んだのです。
そして、博士たちは神様の導きに従って当初計画していた道ではなく違った道から帰ることにしました(12)。博士たちは幼子のようになって神様の導きに従ったのです。
私たちも博士たちのように御言に教えられ、イエス様が共におられる喜びにあふれて、主の導きに従って歩むものでありたいと願います。