鳥取信和教会
「主イエスの目的」
ルカによる福音書12章49〜59節

(1)主イエスの目的。
 「わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか」(49)。
 イエス様は来られた目的を「火を投じるため」と語られています。火は、使い方によってはあかりになったり、調理に役立ったりと有益なものですが、どんなものをも燃やし尽くすものでもあります。
 イエス様が「火を投じる」と表現されているものの一つは50節に表されています。

(2)主イエスのバプテスマ。
 「しかし、わたしには受けねばならないバプテスマがある。そして、それを受けてしまうまでは、わたしはどんなにか苦しい思いをすることであろう」(50)。
 イエス様が「バプテスマ」と仰っているのはイエス様が十字架で死ぬことを表しています。イエス様の十字架の死は人の罪の身代わりとなるものです。ここで「火を投じる」とはイエス様の十字架の死が人の罪を燃やし尽くすものであることを示しているのです。
 さらにイエス様が「どんなにか苦しい思いをする」と語っておられるように、イエス様御自身をろうそくのように燃やし尽くして、私たちを命の光で照らすことを表しています。
 イエス様は二つ目のこととして「火を投じる」とは親しい者の間に「分裂」をもたらすことであると示されました(52)。これはイエス様が争いを願っておられるというのではなく、たとえ誰が反対してもイエス様を信じることが大切であると示しているものです。まず私たちがイエス様に従っていくならば、最終的に平和を与えてくださるのです。

(3)今の時代を見分ける。
 イエス様は人々が天気を見分けるように、今の時代を見分けるように教えられました。「今の時代」とは後のたとえで分かりますように、今自分自身がどういう状況にあるかを表しているものです。今私たちは神様の前に罪という負債を持っているので神様に立ち返って和解しなさいと教えているのです(58)。私たちは日々イエス様に立ち返って罪赦され、証しするものとされたいと願います。
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