鳥取信和教会
「神の知恵」
ルカによる福音書11章45〜54節

(1)負い切れない重荷。
 イエス様は律法学者が神様の喜ばれないことをしていることを示されました。一つは他の人に「負い切れない重荷」を負わせていることです。これは律法学者やパリサイ人が律法に定められていること以上に細かい規定を人々に教えていたことを表しています。彼らは自分を義とし人を裁くためにそれを用いていたのです。

(2)荷に指一本でも触れようとしない。
 またもう一つは「自分ではその荷に指一本でも触れようとしない」ということです。彼らは他の聖書の箇所(マルコ7章1〜13節)に記されているように自分たちの都合のいいように律法を解釈していました。神様の御心をその実において否定するようなことをしていたのです。
 「それゆえに、『神の知恵』も言っている、『わたしは預言者と使徒とを彼らにつかわすが、彼らはそのうちのある者を殺したり、迫害したりするであろう』」(49)。
 私たちも神様の言葉をそのまま受け入れるのではなく自分の経験や思いを読み込んでしまう性質を持っています。

(3)責任を問われる。
 「そうだ、あなたがたに言っておく、この時代がその責任を問われるであろう」(51)。
 イエス様は預言者を受け入れず、イエス様を受け入れない責任が問われると示されました。これは厳しい裁きの言葉ですが神様の愛の表れでもあります。普通責任に問われた相手が裁かれるのですが、イエス様はその身代わりとなって十字架で裁かれて下さいました。
 「あなたがた律法学者は、わざわいである。知識のかぎを取りあげて、自分がはいらないばかりか、はいろうとする人たちを妨げてきた」(52)。
 神様は、律法学者とは逆に裁かれるべき人を救われる人として「神の知恵」であるイエス様を備えて下さったのです。
 私たちはイエス様のとりなしによって生かされていることを感謝し、神様の言葉を幼子のように受け入れる者でありたいと願います。
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