「わたしは主である」
出エジプト記6章1〜13節
神様はエジプトで奴隷となっていたイスラエル人を救うためにモーセを選ばれました。しかしエジプトのパロはモーセの言葉に聞き従わずさらに労役を課しました。そのモーセを神様は励ますために御言をかけられました(1)。
(1)わたしは主である。
『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトびとの労役の下から導き出し、奴隷の務から救い、また伸べた腕と大いなるさばきをもって、あなたがたをあがなうであろう』(6)。
神様はここでご自分の名を「主」と表しておられます。「主」とはまず契約の神であることを示しています(4)。神様が私たちに約束下さったことは必ずなして下さる方であることを表しています。
また「主」とはあがない主であることを示しています(6)。神様は私たちを高価で尊いと覚えて下さり、私たちを救うために尊い独り子であるイエス様を遣わし、あがなって下さいました。
(2)聞き従わない民。
神様の御言にもかかわらず労役を増やされたためイスラエルの民は聞き従いませんでした。またモーセは聞き従わないイスラエルの民に接して神様に口答えしました(12)。私たちも現実の苦しみを見て主の御言を信じ切れなくなる弱さを持っています。
(3)主の導き。
しかし主はなおそのモーセに語りかけイスラエルの民を救う働きを進められました。「主」とは「わたしは、有って有る者」(3:14)と紹介されています。私たちが神様を忘れても、主はそのような私たちと共にいて導いて下さる方なのです。 私たちもモーセのように主の愛の導きに従って歩む者でありたいと願います。