「神の言を守る人」
ルカによる福音書11章27〜32節
(1)恵まれた人。
「しかしイエスは言われた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである」」(28)。
イエス様のもとに一人の女性が来てイエス様の母マリヤを始め近くにいることが出来る家族が恵まれていると言いました。そこでイエス様はイエス様を実際に見ることが出来た人ではなく、神の言を聞いて守る人が神様のめぐみに与っている人であると示されました。
私たちもこの女性のようにイエス様を実際に見ることを素晴らしいと思いやすいですが、神様の言葉を信じて歩むことの方がはるかに素晴らしいと教えています。
(2)ヨナのしるし。
その後、ヨナやソロモンを通してイエス様は神様の言葉を守るために大切なことを語られました。イエス様はこのところでも悪霊を追い出すという働きをされていましたが、人々はそれを認めず自分にとって都合のよいしるし(奇跡)を求めました(16)。私たちも既に与えられているめぐみを喜ばず、神様に信頼せずに自分勝手なしるしを求めやすいものです。
イエス様はその人々に「邪悪な時代」であるからしるしを求めても「ヨナのしるし」(30)しか与えられないと告げられました。この「ヨナのしるし」とは「ヨナの宣教」(32)です。御言を求めることこそ大切であると示されたのです。
(3)悔い改めた人々。
ヨナの宣教を信じて異邦のニネベの人々は悔い改めました。イエス様はそのことを引き合いにして、神様を信じている人々が、自分がもう一度神様を知らない異邦人であることを認めて立ち返るように勧められました(32)。
これは難しいことです。私たちは神様を信じると言いながら、どこかで自分の考えを神様の考えとし、自分の思いを神様の思いとしてしまう弱さを持っています。自分の意思や願いをいったん置いて神様の御心を求めて聖書に聞き、祈る者でありたいと願います。