「幼な子の国」
マルコによる福音書10章13〜16節
(1)イエスの憤り。
イエス様のもとに、人々が祝福してもらおうと子どもたちを連れてきました。しかし、弟子たちは子どもたちがうるさくするためかイエス様を休ませたいと思ったか止めようとしました。
「それを見てイエスは憤り」(14)ました。この時代、子どもは律法を守ることが出来ない価値のない存在だと思われていました。けれどもイエス様はかけがえのない存在であると示されたのです。
(2)幼な子の国。
「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である」(14)。
イエス様はむしろ神様が喜ばれるのは、子どもたちであると語られました。子どもたちは親に質問して律法や神様のことを教えられて育ちます。自分が知らないということを知っているのです。そのように私たちも自分の判断をいったんおいて神様に聞いていくときに神様は喜んで示してくださるのです。
(3)神の国を受け入れる者。
「よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」(15)。
また子どもたちは自分より大いなる存在を知っています。自分を生かし支えてくれる存在を知っているのです。私たちも自分で生きているように思いやすいですが、両親に頼る子どものように神様に頼って生きるならば祝福された人生を歩むことが出来るのです。