「よきサマリヤ人」
ルカによる福音書10章25〜37節
(1)律法学者の試み
イエス様のもとに律法学者が本当に神様から遣わされた人物か確かめようとやってきました。そして、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」(25)と尋ねました。イエス様は彼の心の内を知られて「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」と質問を返されました。
(2)隣り人とはだれか。
『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」(27)。
律法学者は聖書に精通していましたから直ちに聖書の御言(申命記6:5、レビ記19章18節)を引用して答えました。イエス様の勧めを聞いて、自分が永遠の生命を得る価値があることを示そうとして「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」と尋ねました。律法学者としては周囲のユダヤ人が念頭にあったのだと思います。
(3)隣り人になる
けれどもイエス様は「よきサマリヤ人」のたとえをもって答えられました。ここで強盗に襲われた人の向こう側を通って見捨てる祭司やレビ人が描かれています。強盗に襲われた人が実はふりをしているだけで強盗であることを恐れてのことでした。
けれどもユダヤ人と仲が悪かったサマリヤ人は、その危険性にもかかわらず助けました。これは普通には出来ないことです。イエス様はまさに「よきサマリヤ人」のように敵対していた私たちを救うために十字架で死んでくださいました。
「彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」(37)」。
私たちもイエス様の愛によってどのような人をも愛する者にされたいと願います。