鳥取信和教会
「不信仰な時代」
ルカによる福音書9章37〜45節

(1)息子のいやし。
 イエス様が山を下りられた時、大勢の群衆が集まってきました。その中である人が息子のいやしを求めてきました。先に弟子たちにいやしを求めたがいやされなかったと告げました(40)。これは、イエス様が弟子たちに「すべての悪霊を制し、病気をいやす力と権威とをお授けになった」(1)にもかかわらず起こった出来事です。

(2)不信仰な時代
「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか、またあなたがたに我慢ができようか」(41)。
 そこで、イエス様は弟子たちの信仰のなさを責められました。弟子たちは、病気の深刻さを見ていやされるという信仰を持つことが出来なかったのです。私たちもそのように現実を見て信仰を働かすことの出来ない弱さを持っています。
 けれどもイエス様はその弟子たちを見捨てることはせずに常に共に歩まれました。イエス様は不信仰にもかかわらず男の子をいやされました。

(3)悟ることが出来なかった。
 イエス様は弟子たちに御自身が人に渡されることを告げられました(44)。けれども弟子たちは悟ることが出来ませんでした(45)。
 それは一つには「尋ねるのを恐れていた」(45)とありますように、ローマの支配から救うお方という自分たちの期待とは違うのでイエス様の言葉を受けいれられなかったのです。
 もう一つは「隠されていて」(45)とありますように神様の時、聖霊を与えられた時に御言を悟るように導かれたということです。私たちの不信仰を日々悔い改めて弟子たちのように御言に導かれて歩むものでありたいと願います。
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