「ただ信じなさい」
ルカによる福音書8章49〜56節
(1)ただ信じなさい
会堂司のヤイロは12歳の一人娘が死に瀕していたのでイエス様のもとに救いを求めてきました。ところがイエス様が長血の女性を癒やしておられる間に亡くなってしまいました。
「しかしイエスはこれを聞いて会堂司にむかって言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」」(50)。
ヤイロは知らせを聞いて失望落胆していたことでしょう。しかし、イエス様は信じ続けることを求められました。イエス様は、人間的努力が尽きたときに、信じる者に働いて下さるのです。
また娘の信仰ではなく、ヤイロの信仰にイエス様は答えて下さいました。イエス様を信じる者が、他の人のために祈ったことを主は聞いて下さるのです。
(2)命の主。
イエス様は悲しんでいる人々に「泣くな、娘は死んだのではない。眠っているだけである」(52)と語りかけられました。イエス様にとって肉体的死は死ではなく、眠りであって命があることを示されています。イエス様を信じる者には神様の前に永遠に生きる命が与えられているのです(ヨハネ11:25,26)。イエス様はその証拠としてヤイロの一人娘をよみがえらせられました。
またイエス様はよみがえった娘に食事を与えるように導かれました。イエス様は一人一人の必要を知り、備えて下さる方なのです。
(3)話すな。
イエス様は、両親にこの出来事を話してはならないと命じられました(56)。周りの人々は娘が死んだこと、イエス様が来て後、生き返ったことを知っていたはずです。ですから普通ですとイエス様が信仰に応えてくださったことを証しする方が良いように感じます。けれどもあえてイエス様は話さないように命じられたのです。これは周りの人々がイエス様を嘲ったためです(53)。イエス様を信じようとしない人々に、今語ることを止められたのです。けれども周りの人々が救われないようにではなく、神様の時に救いがなるように導かれたのです。
私たちもヤイロのようにどんなときでも主を信じ続けて歩む者でありたいと願います。