鳥取信和教会
「嵐の中の信仰」
ルカによる福音書8章22〜25節

(1)ガリラヤ湖にて
 イエス様は弟子たちと共に福音を宣べ伝えるためにガリラヤ湖の向こう岸に渡ろうとしていました。その中でイエス様は疲れておられたのか熟睡されていました。ガリラヤ湖は、周囲を山に囲まれ水面が低いので風が吹きやすい場所のようです。ペテロを始め弟子たちの内何人かはガリラヤ湖で漁師をしていましたからそのことはよく知っていました。けれどもその弟子たちさえも対処できないような嵐が襲ってきました。

(2)嵐の中で。
  弟子たちは、水を掻き出してもさらに水が溜まってしまうので危険を感じました。そこでイエス様に「先生、先生、わたしたちは死にそうです」(24)と訴えました。イエス様はそこで起き上がって風や荒浪を御言によって静められました。

(3)信仰は、どこにあるのか。
 「イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。彼らは恐れ驚いて互に言い合った、「いったい、このかたはだれだろう。お命じになると、風も水も従うとは」」(25)。
 ここでイエス様は「信仰は、どこにあるのか」と尋ねておられます。イエス様が起きて見えなければ働かないような信仰なのかと問われているのです。私たちも苦難や病など目の前の出来事に一喜一憂してしまう弱さを持っています。苦しみの中でイエス様が見えなくなるとき、イエス様が眠っているのではなく、むしろ私たちの信仰が寝ているのです。
 弟子たちは風や水がイエス様に従うと言うことに驚いています。弟子たちもイエス様がすべてを支配しておられるお方であるとは信じていなかったのです。私たちもイエス様の働きを常識で制限してしまうことがあります。常識で判断することが悪いのではありませんが、イエス様にすべてを委ねることが大切なのです。
 私たちも弟子たちのようにイエス様と共に歩む者でありたいと願います。

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