ヨハネによる福音書15章12〜17節
「新しいいましめ」
(1)新しいいましめ
13:34では「新しいいましめ」として記されています。それは十戒では何々してはならないと否定形で記されていますが、ここでは積極的に「互いに愛し合いなさい」と記されているからです。イエス様は自ら進んで愛していくことを願っておられるのです。お節介ではいけませんが、積極的にお互いに祈り合い、愛し合う者でありたいと願います。
(2)互いに愛し合う。
「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」(12)。
イエス様は「いましめ」として互いに愛し合うことを示されました。最初にイエス様が弟子たちを「愛したように」と語られています。これは弟子たちがイエス様から逃げ去る直前の言葉です。イエス様は弟子たちの足を洗って(13章)その罪を赦されていることを示されました。イエス様はどこまでも愛して下さる方なのです。
(3)イエスの友。
イエス様は逃げ去ってしまう弟子たちを「友」と呼んでおられます(15)。それは、弟子たちがイエス様からすべてを知らされているからだと語られています。このとき弟子たちはイエス様が罪を赦すためにこの世に来られたことを分かっていませんでした。けれどもイエス様はすべてを知るものとして「友」と呼ばれたのです。私たちも弱い者ですが、イエス様はイエス様を証しする「友」と認めてくださっているのです。
(4)実を結び、残る。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである」(16)。
イエス様は私たちを選んでくださいました。それ故に私たちはすでに実を結ぶ者とされているのです。イエス様は私たちにふさわしい実や賜物を備えておられます。そしてその実は残ると約束されています。私たちはイエス様の約束を信じ、互いに愛し合い、主を証しする者とされたいと願います。