「大祭司イエス」
ヘブル人への手紙4章14〜16節
(1)大祭司なる神の子イエス
復活されたイエス様が、天に昇り神の右の座について大祭司として私たちのためにとりなしておられることが示されています。大祭司は、年一度至聖所に入って神様に犠牲をささげ人々の罪をとりなしている事が描かれています(レビ16:29〜34)。つまり大祭司は神様と人をつなぐ働きをしていたのです。
神の子であるイエス様が人となって私たちの罪を負って十字架で犠牲となって下さいました。そのことによって私たちは今、神様の前に生きるものとされているのです
(2)弱さを思いやる方。
イエス様は私たちの弱さを思いやるお方であると示されています(15)。イエス様は私たちと同じ人となって下さいました。人としての弱さや苦しみを知っておられるのです。「思いやる」という言葉は「共に苦しむ」という意味を持っています。イエス様は上から私たちを見下してがんばれと言っているのではなく、共に同じ苦しみを負って一歩ずつ歩む道を示して下さる方なのです。
(3)恵みの御座。
「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」(16)。
そのイエス様を通して神様の前にでるならば必ず助けを備えて下さるのです。イエス様は、私たちの疑ってしまう弱さを越えて祈りを引き上げて神様の栄光を顕すものとして下さるのです(マタイ28:16〜20)。日々、恵みの御座に近づいて主と共に歩むものでありたいと願います。