「まことの光」
ヨハネによる福音書1章1〜14節
(1)言は神であった。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」(1)。これは創世記1章の天地創造の箇所と照らしてみると分かります。創世記では神様が発した「言」によって全世界が創られ、人も命が与えられたことが記されています。そこで「言」が神であり(1)、命である(4)と記されているのです。
「言」は「出来事」とも訳せる言葉です。「言」は必ず成るのです。
この「言」はイエス様を指しています。御言を信じ、イエス様を信じて行くときにやみに打ち勝つことが出来るのです(5)
(2)まことの光。
「すべての人を照すまことの光があって、世にきた」(9)。「まことの光」としてイエス様が紹介されています。普通の光は暗闇を照らすものをはっきり見えるようにしますが、人の心の内側まで照らすことが出来ません。けれども「まことの光」であるイエス様は私たちの心の奥底までも照らし、神の子として下さるのです(12)。
(3)言は肉体となった。
「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」(14)。
イエス様は私たちと同じ人となって下さいました。私たちの弱さや苦しみを知って下さる方なのです。そのイエス様が内に宿って「めぐみとまこと」を与えて下さるのです。
「まことの光」であるイエス様を内にいただいて、暗闇にいる人々に主を証しするものでありたいと願います。