「主の御旨」
エレミヤ書36章1〜10節
(1)主の御旨
「ユダの家がわたしの下そうとしているすべての災を聞いて、おのおのその悪い道を離れて帰ることもあろう。そうすれば、わたしはそのとがとその罪をゆるすかも知れない」(3)。
ここに主が聖書を記させた理由が記されています。主は、私たちが罪から主に立ち返って生きることを望んでおられるからです。聖書には、厳しい裁きの言葉などが記されていますが、それは神様が裁きたいと思っておられるのではなく、私たちが悔い改めて神様に立ち返るために道を備えているものなのです。
(2)エホヤキム王。
このときエレミヤはエホヤキム王によって主の宮に行くことが禁じられていました。それはエホヤキムが自分の聞きたくないことを語っているエレミヤを遠ざけたためでした。私たちも自分が聞きたいことだけを聞いてしまう弱さを持っています。
またヨシヤ王の時代からエレミヤは主の御言を伝えていました。ヨシヤ王は神様に立ち返って宗教改革を行った人物でした(列王紀下22章)。けれどもエレミヤはなお偶像崇拝があることを示しました(エレミヤ3章など)。私たちも神様を頼りとしているようでいて、どこかで自分の力で歩んでいるように思ったり、ほかのものに頼ったりしてしまう弱さを持っています。
(3)主の言葉。
主はその私たちにあきらめずに幾度も語りかけて下さる方です(8,10)。そして私たちの罪から救うために真のことばであるイエス様をこの世に遣わして下さいました(ヨハネ1章)。私たちはイエス様を信じ御言によって新しくされて、エレミヤのように主を証しするものでありたいと願います。